最近ちょっと気になる言葉? サイト内で使ってます。
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「あいつは姑息なヤツだ」などと、言ったりしません?
どうも、卑怯だとかずるいみたいなニュアンスですね。
「姑息」はその場しのぎってことです。
ストッキングが伝線しかけたら、糊を塗っておくような行為です。卑怯ですか?
物事に真剣に取り組まず、その場しのぎの対応ばかりしている人間は、往々にしていい加減でずるっこいものですから、姑息という言葉が意味を広げた背景もわからなくはないんですけど。
それにしても、私が示した「姑息な手段」は、かなりずるいと言われそうですな。
これまた「あの人って下世話ね」なんて非難の目で見られたりします。下半身の世話を焼くような人なんでしょうか(それじゃあヘルパーさん)。
「私たち、下世話な関係じゃありませんっ」・・・げ、下世話って、形容動詞だったんですか。
下世話はよく耳にすることわざや慣用句みたいなものを指します。ポルノちっくなニュアンスはないんですよ。
世間一般の下々の者が話すこと・・・といった感じでできたようです。
正は弓の競技などで標的にする布で、鵠は「正の中心に小さな皮を張ったもの」だそうです。鵠は小さいから当てにくいのです。
弓矢の的だから「射る」と言うのですが、「正鵠を得る」という表現はよく見かけます。得るって・・・鵠をはがしてポケットに入れるんですか。
似たような「的を得る」も時々見ますが、これは「当を得る」との混同だとも聞きます。
鵠は白鳥のことで、なぜ中心の黒点を指すのかは知りません。
下世話ではないけど、「刻鵠不成尚類鶩」というコムツカシイ成句があります。「ビル・ゲイツの真似をして頑張ればソンさん程度にはなれますよ」と。目標は高く持ちましょう。
「願う」+「く(名詞化の接尾語)」+「は(助詞)」=「願うことは」
I wish 〜ですね。
似たような言い回しに「望むらくは」「惜しむらくは」などがあります。文法的には正式な用法ではありませんが、文語的表現として残っております。
「願わくば」は語尾がなまってできたのか、「あわよくば」との混同か。今では辞書にもちゃんと載ってます。
『願わくは花の下にて春死なむ・・・』という有名な歌がありましたね。花とは桜の花だとか。2月に桜ですか? 近々太陽暦でもそうなりますよ、大国も途上国もCO2はき散らしてるし。
さくさく(嘖嘖)は「大勢の人が口々に誉めそやすようす」ですから、悪評とは相容れないものなんです。世間でも初めはそれを承知で戯れ言として使っていたのが、いつの間にか定着してしまったようです。
と思っていたのですが、遡ると「嘖」は「言い争う」「やかましい」という意味です。「口で責める」という字面からも、悪評のほうがふさわしい印象・・・。
私も好評ではなく悪評に使ったことがあるのですが、別な都合で段落ごと削除して今はありません。
私は「閑古鳥」と同義としてよく使いますが、こういう四文字熟語はありません。
「門前雀羅を張る」の略です。
門の前に雀を捕る網をしかけても邪魔にならないほど、訪問客がなく寂しいようす。捕まえた雀は焼き鳥にするんでしょうね。
辞書によれば、元々の句は「門外雀羅を設く可し」だとか。
ところで閑古鳥はカッコウ(郭公)のことです。「閑古鳥が鳴く」ことはなぜ商売がはやらない形容になったのでしょう。カッコウは確かに疫病神ではありますが。
骨を取り換え胎(児)を奪うとは、ずいぶんスプラッタぽい表現ですね。フランケンシュタインかブラックジャックか。
いえ、文学の手法です。古人の詩文を作り直して、新しいものを生み出すことです。模倣や盗用とは別物で、翻案とも異なります。似ても似つかぬものになる可能性もありますが、元の作品の美点は残し、さらに価値を高めなければなりません。
自分のデビュー作が未熟だったからって、自ら換骨奪胎に取り組むのは不可です。誰かがやってくれるまで、草葉の陰で気長に待とう。
当然ながらウェブページに対してそれをやってもいいというのは、単なるジョークですよ。
えーと、当ページはリンクとは無関係で、水増し作戦として作りました。今後はブログのイチャモン日本語や辞書と戯れるに加えていく予定です。
こういう内容のページを持つと、「じゃあお前はどうなんだ」てな批判が来そうで躊躇する人もいますが、いろいろ指摘してもらえるならありがたいことですよ。
ははあ、「荒野の白狐」ですか? 何の意味もおまへん。